人間の救済

 第二次世界大戦後、民主主義が日本に移入されたとき、精神主義から科学中心主義への移行も行なわれました。私は戦後生まれなので、問題の解決は科学によって成し遂げられるという風潮のなかで生きてきました。それは物理や化学のような世界だけでなく、人間を扱う医学でさえ、科学の力で何とかなると考えられたのです。

 この流れは、心や精神と深い繋がりのある病気の世界でも同様でした。実際、精神医学、心身医学、臨床心理学などの学問が、これらの問題を解決してくれるのではないかという期待がずっと続いてきたのです。しかし、知識を積み重ねていく科学の力だけで、人の心の問題や病を解決することはできるのでしょうか。

 心の問題は、感性や直観のような、知識の蓄積では理解できないことを含んでいます。学習で得られる知識には、どうしても限界があります。気功師や整体師のなかには、あるいは一部の宗教家のなかには、この感性や直観によって、人の悩みの本質に一瞬のうちに辿り着き、問題を解決に導く人たちがいます。

 また、宇宙の法則や自然の摂理も直観で知る世界なのではないかと思います。

 心の病を科学の力だけで治そうとすると無理が起こります。やみくもに薬に頼って患者さんを薬漬けにしてしまいます。科学万能主義者は、この世界にある不思議な力を認める力を失っていますから、独断的で、病気が治らなくても平然とやりすごしてしまいがちです。このような傾向は、精神医学や心身医学だけでなく、心の問題が深く介入してくる内科学などにも全般的に見られるものになっています。

 そもそも人間は、肉体的に病むときは心も病み、心が病むときには肉体も病む、心身一如の存在です。科学による医学だけで「人間の救済」が完結するほど、人間の悩みは単純ではありません。感性や直観力を持つ人間は宗教化などになり、心のやすらぎを得るための術を世の人に訴えるという流れは、現代でも必要なことなのでしょう。   以上です・・。

 

やはり、一時的でもなく、奇異的でもない、真の病の完治というものは難しいものなのですね。洋の東西を問わない、真の医療と医学。見つけられるまでには、からだが自然に治してくれているかもです(笑)。とりあえず、自律神経を理解して、意識した生活を優先するしかなさそうですね。   温王子でした・・・