楽あれば苦あり

 人間はぎりぎりのところで生きているとお話ししましたが、そう考えると、喜びが続いたあとに悲しいことが起こったり、苦労のあとに深い満足感を得て安心したりするわけがわかるような気がします。

 生命体は35億年の歳月を経て、今も進化しつづけていますから、ぎりぎりのところで生きてはいるけれども、苦よりも楽の方が少しだけ多いというのが、実情ではないでしょうか。

 これを比率で表すとすれば、51対49くらいになると思います。もし、、楽と苦の比率が70対30、あるいは80対20だったら、人生はずいぶんと楽でしょう。多くの人が笑いながら人生を終えることができます。しかし、現実はそんなことにはなっていません。第1章で、空気中の酸素の量がたった1~2%上下しただけで、体調が変化したり、気分も変化するとお話ししましたが、人間はちょっとしたことに左右されてしまう生き物なのです。

 キリスト教では、人類に苦しみが多いのは原罪によるものだとしていますが、生命体の進化を考えれば、苦しみの方に重きを置くのは、矛盾するように思えます。仏教の「一切衆生悉有仏性」のほうがふさわしいのではないでしょうか。

 ぎりぎりのところで生きているのに、生き方を過って苦しむことも多い。人間は仏性を持つこともできますが、間違いを犯しやすい存在であるというあたりが妥当なところでしょうか。間違いを犯さないようにするためには、人間の特徴を理解し、己を知るしかありません。「51対49の法則」は己を知るための大切なキーワードの一つだと思います。

 「51対49の法則」をさらに深く理解するためには、自律神経の働きがどのようにからだと心に作用しているかを知る必要があります。   以上です・・。

 

ちょいと難しめな「人生楽ありゃ苦もあるさ~」でした。「安保理論」に宗教が絡むと・・むずっですね(笑)。まあ、でも最終的に苦からの脱却は宗教なのでしょうか?王子的には集金団体でない宗教が良いな~と思います。ちなみに王子は「伊勢式」ですが。    温王子でした・・・