時代と問題は変化する

 本屋さんに行くと、仏教や儒教の本がたくさん出版されていることに気づきます。その理由について、私なりに考えてみました。病気からの脱却というテーマと密接な関連があると感じるからです。

 人間は生きるためには、食べ物を獲得しなければなりません。また、身を守るための衣服も必要ですし、住環境もいいに越したことはありません。昭和20~30年代の日本では、これらの問題を解決して生き延びることが最大の課題だったと思います。しかし、現在の日本では、衣食住の問題はほとんど解消されて、新しい課題が突きつけられているように思えるのです。

 それは、競争社会ゆえに生まれる苦しみの問題です。残業による肉体的な苦しみもありますが、競争の敗北からくる精神的な苦しみもあるでしょう。これらの苦しみを人生の中心課題と考えると、ブッダが実践した苦からの脱却、あるいは人生は苦そのものであるという教えが、現代人の共感を呼ぶことになるのがよくわかります。

 貧しさが、苦しみの大半を占めていた時代でしたら、経済的に豊かになることでその苦から脱却できるのですから、ある意味では目標は立てやすかったでしょう。「冷蔵庫を買う」「テレビを買う」「洗濯機を買う」といった具体的な目標を立てて、がんばればよかったのです。目標がはっきりしている場合は、唯物的・科学的思考が幅を利かせることができます。しかし現代は、心から生じる苦の世界がかなりの部分を占めるようになったので、問題は複雑です。

 人間対人間から生まれるストレスは、肉体的ストレスから生まれるストレスよりも、さらに交感神経緊張をもたらす大きな力を持っています。では、人間対人間から生じる摩擦を和らげるには、どうすればいいのでしょうか。

 私は最近、仁・義・礼・智・信という孔子と孟子が掲げた徳目が大切に思えてきました。この徳目の一つ一つの意味を考えると、すべて人間関係改善のために必要なことなのです。学校教育に道徳の時間が必要ではないかとか、儒教の教えを見直すべきだなどという流れは、人間関係の正しい作り方、あり方を見直さなければならないことを、日本人が感じはじめた現れだと思うのです。    以上です・・。

 

最後の下りについて、こちらの著書は2007~8年に刊行されたものですが、2011年に半ば強制的に日本人が感じ始めたことだと王子は思います。あの震災から、もう10数年。そして今、石川は能登半島で自然災害が発生してしまいました。

災害は必ず来るものという考えも、忘れてはいけないことだと思います。想定して、できる限りの準備、これを実践した上での生活が大事だとも思います。やることやって、楽しみたいと思います。    温王子でした・・・